思ったより近くにあるワナ
そういやジェニファー・ワイナーの新作読んだのよ。
あれ?ウェイナー?どっちが正しいのかいつも分からない。
ジェニファー・ワイナー(こっちにした)っていったらあれよ、In Her ShoesやGood in Bedを書いたあの人。
今回のテーマは「薬物依存」。といっても、公園とかでこっそり売買される見るからに危ない代物ではなく、病院で処方される鎮痛剤への依存です。
最近知ったのですが、米国ではこの鎮痛剤への依存が社会問題になっているそうです。ぎっくり腰のときなんかに気軽に処方される痛み止め。その中にアヘン様の働きをする薬剤があるそうで、痛みを感じなくなったあとでもその薬を手放せなくなってしまった人が急増している、とのこと。
問題はこれが処方薬というクリーンなイメージのせいで、危険性が認知されにくいこと。いわゆる「ドラッグ」にはけっして手を出さない、ごくごく普通の社会人だって、この種の薬は警戒心なく常用してしまうのです。
今作の主人公アリソンもそんな一人。仕事と家庭にめぐまれ、傍目には完璧な生活を送っている女性です。しかしそんな彼女も一皮むけばドロドロした問題たくさんを抱えています。夫との不仲、可愛いけれど非常に手のかかる娘の育児、認知症の父、そして仕事と家事。日々の精神的苦痛や不満から逃避するために、彼女は鎮痛剤を口に放り込みます。薬が足りなくなれば、病院を何軒も回り嘘をついて処方箋を書いてもらって。鎮痛剤なしには生きていけなくなったアリソンはやがて違法の薬物売買サイトに手を出し、薬のためなら何でもするようになってしまうのですが…。
ジェニファー・ワイナーといえば、わりと深刻な問題でもウィットを駆使して読みやすい本に仕上げるのが特徴ですが、今回はかなり重め。主人公が薬物に溺れていくさまが痛々しくて、息が詰まる思いで読みました。今作はむしろ、処方薬の危険性の啓蒙って点で価値があるかな(これでもamazon.comのレビュー読んだら「描写が手ぬるい」って批判がありました…薬物依存の恐ろしさ、推して知るべしです)。
そうはいっても、ところどころに私の大好きなワイナー節が効いていて、うまいこと箸休めになっていました。以下はリハビリ施設に入れられたアリソンが、『サウンド・オブ・ミュージック』の筋を利用して脱走を企てるシーンです。ほかの入所者の協力を得るために、「ほら、あのミュージカル知ってるでしょ」と尋ねるのですが…。
“Is it like American Idol?” ventured one of the Ashleys. “No. Well, actually, you know what? There is a talent competition. See, there’s this big family, and the mother has died, so the father hires a governess.” The Ashley made a face. “You can’t hire a governess. They have to be elected.” “No, no, not a governor. A governess. It’s a fancy way of saying babysitter. So anyhow, she takes care of the kids, and the father starts to fall in love with her . . .” Aubrey immediately launched into a pornographic soundtrack, thrusting her hips as she sang, “Bow chicka bow-wow . . .” “Cut it out!” I said sternly. “This is a classic!”
やんちゃな若いお姉ちゃんたちと、話がかみ合わない主人公(ホワイトカラー)。リハビリ施設でもいやみのない笑いをとっていくのがワイナーの真骨頂。
そういや今日こんな本を読んでたんですが、
19世紀半ば米国南部の裕福な白人女性の中に、鎮痛剤として当時使われていたアヘンを使用する者が多くいた、という話がありました。家庭に閉じ込められ自由に出歩くこともできないストレスを紛らわすためだったという説明でしたが…。
十九世紀には麻薬の中毒性が正確に認識されていなかったため、気軽に使用していたこともその理由の一つであろうが、彼女たちが薬に頼らざるを得ないほどのストレスにさらされていたことも事実であろう。
今も昔も変わらないのね。
小さな一歩ふみしめる
みんな聞いておくれ。
不確かな道案内
この界隈で、道を聞かれる選手権を開催したら、おそらく私が優勝だ。
ヒキガエルさん、尊敬すべきひとに出会う
仕事が珍しくうまく行ってご機嫌な月曜。早く退勤できたので、いつものカフェで祝賀会です。もちろん一人でね…。
今日みたいな日もあること、忘れないようにしようと思いながら、すする紅茶の美味しいこと。
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ヴァージニア・ウルフの名随筆と呼ばれる本作ですが、恥ずかしながら初めて読みました。モダニズム作家だっていうし、きっと私には理解しがたい文体で書かれているんだろうなと敬遠してたのですが…。でも読んでみたら驚きの分かりやすさでした(訳の力も大きいけど)。こんなことなら学部生のうちに読んどけばよかったよ。
テーマはもちろん、文学と女性の自立。「女性がものを書こうとするならば、500ポンドの年収と、鍵のかかる自分だけの部屋が必要だ」という名文句で知られます。経済と精神、両面における自立の必要性を女性に説いてるわけです。
私はこの本を文字通り抱きしめんばかりにして読みました。ウルフの言葉が21世紀の読者である私の心に突き刺さること。キャトリン・モランの時もそうでしたが、思わず先輩!って呼びたくなります。先輩!私も同じ問題で悩み続けてきたので、先輩の意見を聞かせてください!
いやー、でもこの本がこんなに面白いというのは残念なことです。80年以上前に提起された問題が解決されていない、ということだからです。私の(空想上の)娘の世代には、この本がそこまで訴求力を持たなくなっているといいのですが。
ところで当時の500ポンドって今でいえばいくら?私の非常勤の年収とどれくらい開きがあるの?やっぱ来年はもっと労働時間増やすかな。経済的自立は矜恃の問題でもあるしな。
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そうそう、女性の文学についてのくだりね。シャーロット・ブロンテの小説と、エミリ・ブロンテやオースティンの作品とを比較したとこ。前者は男性優位社会に対して作者が抱く怒りの感情が露わになりすぎて物語世界を損なっているがために(「ひきつりがある」と作中で表現されていました)、後者のような高い評価を受けることができないとウルフが指摘していました。
なるほどー。でも私はその「ひきつり」ゆえにシャーロット・ブロンテを愛好しますが。切られれば血の出る人間の生々しさを強く感じるので。
それより楽しい川べ
休暇もいよいよ終わりを告げ、週明け仕事に復帰します。いまは大好きなカフェでモーニングをむしゃむしゃしながら、次週の仕事の準備をしています。それも(手前味噌ですが)なかなか一生懸命に。
これから何をしようかな
転職、結婚、出産など、人生の転機てんこもりの年代を迎えたヒキガエルさんです。友だちと会うと「これからの人生どうする?」という話に花が咲きます。高校生のころだってこんなに進路について真剣に考えていませんでした。あの頃は峠を越えて自転車通学するだけで手一杯でした。
最近ある友人が資格試験の挑戦を決めたと連絡をくれたのですが、そのときの彼女の言葉に胸を衝かれました。「よく考えたら、私たちぐずぐず悩んでる暇はもうないわ」。たしかにそうかも知れない。そろそろ壮年期に差し掛かる今、やりたいことがあるなら挑戦しておかないとチャンスを逃してしまうかもしれない。
じゃあ私は何をしたいんだ、というと、やっぱり翻訳の勉強をしたいのです。心ひそかに、女性と社会のかかわりについて書かれた本で自分が面白いと思うものを訳したいという野望だってあります。いま文字列にしてみてドキドキしました。夢について語るというのはなかなか勇気を要することです。
翻訳学校の先生たちによると、一人前の翻訳家になるにはやはり十年はかかるだろうということでした。十年!!まあまあ気の長い話です。となると、やっぱりはやく挑戦をはじめた方がいい。
よっし、これから本腰をいれて頑張ろうと、とりあえずデスクを注文しました。物から入るあたりが軽薄で泣けるのですが…。でも十年間スタバの机を占拠しつづけるわけにもいかないし、そんなことしたら翻訳家になる前に破産しそうです。だからとりあえずマイデスクを買い、はやく届かないかなとさっきから30分おきにクロネコのウェブサイトで確認しています(ちなみに配達予定日は明日)。
あ!そんなことして時間を無駄にしたから、翻訳家になるのが十年と一時間後くらいに伸びたかもしれない。ちぇ。
集中、集中…
あれ?もう八月後半?おかしいな私がちょっとうたた寝してる間に時が過ぎ去ってたみたい。