やっぱり目が離せない

月曜日のお楽しみ、といえばNHKで放映される『赤毛のアン』を観ることです。特に春夏の間は、セ・リーグの試合がない寂しい夜を彩ってくれる貴重な娯楽でした。

 

去年『赤毛のアン』自体はイマイチで、続編の方がいいと書きましたが、謹んで訂正します。あらためて、『赤毛のアン』はすごい。アンの行動と発言があまりに突飛で、すげーヒロインだなと毎回テーブルを叩いて喜んでいます。だって、突然「いつか親友のダイアナが私をおいてお嫁にいってしまう…!!」って泣き崩れたりするんだよ。ちなみに御年13歳のことね。何食ったらそういう発想になるわけ?

 

ところで今日図書館で、『赤毛のアン』をフェミニズムの観点から批評した研究書(?)を手にとりました。結論からいうと、アン・シリーズがこてんぱんに批判されていました。若い子がいうとこの、ぼろかすってやつです。一度は文学的野心を持ちながらも、結局は家庭を守ることにアイデンティティを見出した、アンの保守的な一面ばかりを強調した論評でした。

 

しかし、その一面をもってして作品全体を断罪していいものか。私もフェミニズムは大人のたしなみと思っている類の人間だけど、その主張には首を傾げました。アンって一生懸命保守的な世界に馴染もうとしても、どこかしら社会からズレてしまう、持って生まれた先進性(異端さ?)があると思うんだけどなぁ。

 

たしかに保守的なとこがあるのは否めません(前に書いたように、戦時下でみせた激しい愛国心には戦慄しました)。結婚観も保守的かもね。そういう時代だしね。でも、そういう時代にアンぐらい突飛なキャラクターが創出されたこと自体が革新的と思います。

 

この間放送されたエピソードなんか、とうとう髪を緑に染めちゃってね。「もう私の人生は終わった…」て嘆いていました。海から引き上げたばっかりのワカメみたいな髪を垂らして。手を叩いて笑ったわ。

 

ノーラ・エフロン作品以前に、ブリジット・ジョーンズ以前に、こんなに笑えるヒロインがいたなんてすごい。お前はほんとに頭がぶっ飛んでるな、アン。身内にいたら迷惑だと思うわ。