前科者の色彩
学校の課題で、小説の一節を訳すことがあります。いちから書くわけではないけど、創作の楽しみがちょっぴり味わえるので、私はこの課題が大好きなのですが…。
最近課題として渡されたのは、ニューヨークを舞台にしたハードボイルド小説。辛い過去を背負った寡黙な探偵が主人公の、男くさい話なのです。
それをもらって、オッケイオッケイと訳を作ってみたのですが、読み返すと何かおかしい。とくに会話文がおかしい。ヤク中の前科者が登場するのですが、彼のセリフが全然ハードボイルドじゃない。むしろフェザータッチ。
あれれと思って原文を読むと、俗語と文法規範を外れた言葉づかいで、ちゃんと前科者らしく描かれているのですが、それが私の訳では表現されていないのです。語尾も「~だよね」みたいな感じで(いや、さすがにそこまでではなかったかも)、わりと善良で小市民のおっちゃん。今までにおかした犯罪は、せいぜい八つの時に駄菓子屋で万引きしたくらい、という風味なのです。殺人なんて、とてもとても。
いやー、だって私、ニューヨークの前科者がどんな喋り方するか知らないし。だって普段読んでるのはオースティンとかブロンテとか、ドラッグから遠く離れた世界にいる作家の小説だからね。探偵ものでも、ミス・マープルとか。
その中で一番悪そうなのは、『嵐が丘』のヒースクリフですが、彼じゃダメなんです。確かに彼もひとを陥れ殺してましたが、もっと大都会の悪徳のイメージが必要なんです。羊がほっつき歩いてるムーアの情景を背負っちゃダメ。
仕方ないので、適当なハードボイルド小説を参考に読んでみました。でも、悪役のセリフってなんかこっぱずかしい。「分かってるぜ」とか「かもしれないぜ」とか、私の手に負えないワイルドさです。「おったまげた」って表現には、こっちもおったまげちまいました。これ今世紀でも使っていい表現?廃語?
今回のことで、多様なキャラクターを表現するには、多様な「声」が必要なんだーと悟りました。3歳の子どもの声、中間管理職のおじさんの声、修道女の声、米寿を迎えたおばあさんの声。私にはまだ一種類の「声」しかないので、色彩豊かなこの世界を描く能力がまだ備わっていません。そりゃ、始めて半年だからね。
これからはなるべく様々なジャンルの本を読んで、「声」を採取しようと思うのですが、さしあたってこの課題はどうすればいいのか…。
とりあえず前科者になりきることにして、唇をひんまげてちょっと卑しい表情を浮かべながら訳しなおしました。タバコの代わりにフリクションのペンをくわえて。ときどき、げへへ…って言ってみました。なぁおまえさん、げへへ、って。前科者じゃなくてただの馬鹿ですが。