少しずつ繋がる

8月になりましたー。手品のようにどんどんと月が変わっていく。

 
先日まで広島にある義理の家族のとこに帰省していました。
 
ここしばらく、二ヶ月か三ヶ月おきに広島に帰っています。その度に義理の両親と数日過ごすわけで、周りには「大変でしょ?」と心配されるのですが、どうってことありません。むしろ私が「早く広島いきたいな」と提案するくらいです。
 
もちろん、最初からこうであったわけではありません。最初の二年ほど、私が帰省の度にどれだけしんどかったか…。配偶者の存在で繋がったものの、もともとは全くの赤の他人だった人たちと(しかも向こうのホーム、こっちのアウェイで)数日一緒に過ごすのは、気楽なものではありません。
 
私の場合、義理の両親たちが決してお世辞や社交辞令を言わない人たち、いやむしろ歯に衣着せぬタイプなので、最初のころ大変苦しみました。何か意見を求められて、自分の考えをしどろもどろに述べたら、「それはどうかな」と一刀両断にされたり。え?まだ付き合い浅いのに、そんなにぐいぐい否定しちゃう?あの頃は、それがとてつもない冷たさに思えて、借りたお風呂でしくしく泣いていました。もう5年も前のことですが。
 
でもなんどか帰省を重ねて、義理の両親のことがちょっとずつ分かったのです。確かに社交辞令は言わなくてとっつきづらいとこはあるけど、その代わり喋る言葉はいつも本心で、陰でひとの悪口を言ったりすることが微塵もない人たちだなーとか。歯に衣着せないのも、ある意味、ひとのことを対等な議論の相手と見てるってことだよなー、とかね。そして徐々に義理の両親への信頼が芽生えて、育ちつつあるように思います。今言われたひとこと、考えようによってはかなりキツイ言葉だったけど、でも本質的にとても優しいこの人たちが言うことだから、決して悪い意味は含んでないはず、とか。
 
そうやって、信じられるようになったら、帰省が楽になりました。義理の、といえば義理だけど、でも私たちはちょっとずつ家族になっていってるなーと思います。一滴の血縁もシェアしてないし、バックグラウンドもかなり違う私たちですが、信頼によって家族になりつつあります。そしてそれはとても嬉しい。好きな人は多い方が楽しい。
 
 
そうそう、向こうも私という人間への理解が進み、義母「あなたお肉大好きでしょ。いい牛肉用意しといたわよ」私「わーい!!」みたいな感じです。これだから帰省やめられませんわ。