一緒に歌をうたおう

 「ついにみなしごになってしまったよ。」  雄一が言った。 「私なんて、二度目よ。自慢じゃないけど。」  私が笑ってそう言うと、ふいに雄一の瞳から涙がぽろぽろこぼれた。 「君の冗談が聞きたかったんだ。」腕で目をこすりながら雄一が言った。「本当に、聞きたくて仕方なかった。」

 

 

キッチン

 

「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う――。同居していた祖母を亡くし途方に暮れていた桜井みかげは、田辺家の台所を見て居候を決めた。友人の雄一、その母親のえり子さん(元は父親)との奇妙な生活が始まった。絶望の底で感じる人のあたたかさ、過ぎ去る時が与える癒し、生きることの輝きを描いた鮮烈なデビュー作にして、世界各国で読み継がれるベストセラー」

 

 

 

1980年代の顔となった一冊。私たちが物心ついたときにはすでに「昔の本」となっていましたが、そういや実家の本棚にあったな、とか、模擬試験の長文で出たな、と記憶の片隅にこの本が残っているひとは多いのではないでしょうか。高校のころ学級文庫にあったから読んだよーってひともいると思う。

 

 

私この本がすごく好きです。今までの人生で一番読み返した本だと思う。読むといつも気持ちが温かくなる。そういう本はこの世にそうたくさんあるわけではありません。

 

『キッチン』を構成するのは三つの短編。みかげを主人公とする表題作「キッチン」、その続編「満月」。そして「ムーンライト・シャドウ」。この三編をどう読むか、たくさんの視点があると思うのだけど、30歳になった今の私には物語の中の「共有」という側面が切に重要に感じられます。

 

この三編はいずれも自分を足元から揺るがすような悲しみとともに始まります。唯一の肉親や心を分けた恋人という、もっとも自分に近しいひとを亡くすところから物語は生まれます。

 

しかし運命はうまくしたもので(いや、吉本ばなながね)、彼女たちは自分たちと同質の悲しみを経験したひとにどこかで出会います。祖母を亡くして一人ぼっちになったみかげは、妻を亡くしたえり子さんに、えり子さんの息子である雄一はみかげに。恋人を失ったうららもやはり橋の上で同様の経験を持った女性に出会う。

 

もちろん同じような経験をしたひとに出会えたからって、その悲しみが消えるわけではありません。人生はうまくいった時のテトリスのようにはならないのです。

 

私と雄一は、時折漆黒の闇の中で細いはしごの高みに登りつめて、一緒に地獄のカマをのぞき込むことがある。目まいがするほどの熱気を顔に受けて、真っ赤に泡立つ火の海が煮えたぎっているのを見つめる。となりにいるのは確かに、この世の誰よりも近い、かけがえのない友達なのに、二人は手をつながない。

 

結局のところ、そういう人と出会ったところで地獄のカマはなくならないし、火の海が突然美しい湖に変わることもありません。そこだけに目を向けると、もう生きるのがいやになっちゃうような事実です。

 

でも。と30歳になってちょっと大人になった私は思います。ひとりで釜を覗き込むよりは二人の方がまだちょっとましな気がする。二人であれば、冒頭の引用のように時として冗談を言うことだってできるもの。悲しみを茶化すことだってできるかもしれない。今は無理でも、いつか。

 

ひとって大なり小なりどっかでガツンと悲しみをくらってるはずですが、中には悲しみと恐怖が大きすぎて暗闇の中で突っ立って動けずにいるひともいるのではないでしょうか。でも、もしも同じ暗闇の中で迷ってるひとに出会えたらちょっとマシになると思う。今いるとこは結局暗闇に変わりないのだけど、ひとと一緒なら明るいところに歩いていく勇気も少しぐらい湧くかもしれない。ぽつりぽつりとお喋り始めてみたり、気持ちがちょっと落ち着いたら冗談を言って笑ったり。もっと親しくなったら一緒に歌をうたって、全然ハモれないことに爆笑したりしながら。そうやって歩くうちにちょっとずつ暗闇を脱していけるのではないかなと、そう願います。

 

そしてこの本がベストセラーになったのは、この本自身が多くの人にとってそういう存在、暗闇の中で一緒に歌をうたってくれる存在になってくれたからだと思います。たくさんのひとの悲しみによりそって。世の中にはそういう力を持った本があるのです。